いつか東京ドームを貸切にして
子供達の夢を叶えるイベントを開催したい
運送業に携わること20年以上、そのほか倉庫業や農業、医療福祉、イベント企画や施設運営など、今や抱える仕事は多岐に渡る。創業11年目を迎える株式会社山岸興業代表取締役社長の山岸幸太氏、43歳。
シャイな笑顔を覗かせながら、ひらめきから即座に行動に移すその実行力は目を見張るものがある。その活力の原点は様々な環境で頑張る子供達だという。なぜ、そこまでして事業を展開していくのか。山岸社長の熱い想いの原点を聞いた。
【株式会社山岸興業】
設 立:2012年(平成24年)5月11日
本 社:栃木県佐野市高萩町405-4
下妻営業所:茨城県下妻市若柳362-1
福島営業所:福島県南相馬市鹿島区南柚木字南西谷地239
佐野第一倉庫:栃木県佐野市黒袴町1307-3
保有車両:一般貨物自動車運送業、倉庫業他
事業内容:4tトラック2台、大型トラック52台(内冷凍6台)、トラクタ2台、トレーラーシャーシ1台、ダンプ2台
― 創業までの道のりを聞かせてください
昼は土木工事の仕事、夜は運送のアルバイトをしていました。土木の仕事では21歳の時に大型免許を取得して昼間は重機の回送も担当していました。周りの作業員より早く行って重機を回送して、仕事が終わった後に重機を引き上げて、次の日の現場に何台か持って行くという業務をしていました。かなりハードなスケジュールで働いていたのに、ある時「残業時間の嘘を書いているだろう!」って言われてね。そのまま辞めました。その後、バイトでお世話になっていたご縁から大手運送会社に入り、北海道・沖縄以外は全国を運転しました。当時は何日間も寝ずに運転、なんていう事も当たり前の時代でしたからね。仕事を断ったことがなく、現場の要望には全て応えてきました。でも、ある時、寝る時間もとれずに九州から東北までの運送業務を終えた後、家に着く直前で事故を起こしてしまったんです。この時に会社から事故の請求が全部きました。一生懸命働いてきたのに何も保証して貰えないという現実に直面して、だったら個人でやっていても同じじゃないかって思ったんです。26歳で1台目のトラックを買って独立しました。
この頃は日曜日以外は家に帰れませんでした。積み待ちの30分くらいで寝て、あとは常に走っている、そんな状態でした。これを何年かやっていたら仲の良い友人が雇ってくれってきたんです。人を雇うつもりはなかったんですが、当時は仕事がパンパンに入っていたので2台目を購入、納車された初日に2台とも一杯になって。従業員をなんとか休ませないといけないと思って、もう1台増やして、それもあっという間にフル稼働に。何とかできるところまでとの思いで頑張ってきたら一気に車両も増えましたね。
2012年、33歳で株式会社山岸興業を創業しました。
山岸社長自らがデザインした山岸興業のロゴ。真ん中の文字は、WとWをずらして重ねて“Win-Win”を表現している。青のグラデーションカラーがこだわり。丸の後ろに、山岸興業の“Y”をデザインしている
― 子供の頃の夢は?
実は学校を卒業後、東京の寿司屋に勤めたんです。父親が調理師で、魚を捌く姿をずっと見ていたので、小さい頃から自分も調理師になるって思っていましたね。父親は今は佐野ラーメンの職人をやっています。10年ほど前に私が店を出したので、父親と一緒に仕事をするという夢を叶えてるんですよね。
ラーメン店を始めたきっかけは東日本大震災の2年後に地元の栃木県佐野市で開催された商工会のお祭りでした。ここに何か出してくれということになり、福島に仲間がいたので、当時は風評被害もあって農産物がなかなか売れない頃だったので、農協の物産を全部買い取ってイベントで販売した売上を全額を寄付する話を進めていました。ところがとある団体から、佐野で飲食業をやってない人が食品を扱うのはいかがなものかという意見が出たんです。なので、その場で父親に「今の仕事を今日で辞めて」と連絡しました。そして、知り合いの不動産屋に「あそこ空いてるよね、今日から借りるから」、厨房屋さんには「今日すぐに機材入れて」と電話をして、書類作って保健所に提出、1週間で店を完成させました。それからずっと父親と一緒にやっています。
― 行動のスピードが早いですね?
やろうと思ったら大体すぐに始めています。例えば、他の人が失敗した事でも、私だったら出来るかもしれない。やってみなきゃ分からないですよね。試行錯誤して、それでもダメならそれでいいんだけど、何もせずに「あれは無理だ」って文句を言うのは嫌いですね。
トライする恐怖心よりも、行動せずに乗り遅れたって思う方が嫌なんです。今まで大きな失敗もたくさん経験しましたが、その頃に出会った人とは今も繋がっているし、お金は無駄にしたかもしれないけどトータルで見ると何が無駄だったんだろうって思います。自分の気持ちが熱いうちに行動に移せば、その先へと視点が向くので人脈も広がるし、自分が思っていた以上の結果に繋がった事もありますね。
― 創業10年。現在は、商品開発や医療福祉へも広がっていますね。
業務が多岐に渡る理由は?
福祉への展開は、6年ほど前から携わるようになったボランティア活動がきっかけなんです。施設の子供達と触れ合う中で自分にできることを模索し、障害を持つ子供のための施設を2箇所で運営しています。このほか訪問看護などの事業や薬局の運営などは全て信頼できる人に任せてます。
一方、本業の運送業は保有台数がピーク時に70台程まで増えました。ただ、運送業の過酷な現実も見てきたので、いずれは自社が管理する倉庫の物流だけにシフトしていきたいと考えているんです。そうすればドライバーへの負担も軽減できますしね。コロナ禍の1年程前から始めた倉庫業は現在5箇所で運営していて、今後も増える予定です。
これまでの経験から製造業者が運送をやるのが一番強いのではと考えるようになり、商品開発も始めました。冷凍食品の自動販売機会社の代理店として稼働を始め、自社グループで商品を出し、配送は山岸興業でと計画中で、こちらは春頃にスタート予定です。
それから、使わなくなったトラックの箱で椎茸とキクラゲの栽培を始めました。育て方の特許を出してあるので春からは委託業務も増える予定です。結構なコンテナ数だから毎日太田市場に持っていきますよ。ドライバーにも走る時だけ来てもらうようにすれば時間の短縮にも繋がりますしね。結局、ボランティア活動の資金作りをするためには稼がないといけない。稼げるような会社を作って寄付に繋げようと、ここまで広げてきました。現在6社を運営していますが似た事業はやりたくなかったんです。全て同じだと社会情勢で何かが傾いたら一気に状況が変わってしまいますからね。全ての業務のベースには運送業で培ってきた経験が生きていると感じています。
― ボランティア活動のきっかけを教えてください
東北の津波被害を受けた小学校と幼稚園にクリスマスのブーツを送っている方が佐野にいて、その活動に少額の寄付をしました。そうしたら子供達から手紙が届いたんです。この時に物凄く反省をしたんですよね。お金だけ出して、子供達からはお礼を言われちゃったって思いました。
そこで次の年からは、お金だけではなく作業も参加するようになりました。現場に行ってみると、家の前に段ボールを並べて7,000人分のプレゼントを作っていたんです。ブーツにお菓子を詰める作業を何人かでやっていて、雨が降ったらどうするの?という大変な状況だったので、うちのトラックを使って運び、倉庫で作業をしてもらいました。
その活動がきっかけとなって、児童養護施設へ毎年クリスマスプレゼントを届ける活動をしています。コロナ禍前は子供達と先生を大型バスに乗せておもちゃのデパートへ行き、何でも好きなものを買っていいよというのをやりました。その施設の子供達は自分でおもちゃを選ぶ事も初めてだったんですよね。ここ数年は子供達を連れて出ることができなくなったので、おもちゃを買って持って行ってます。
私がボランティア活動を始めたきっかけは子供達からの手紙でした。子供達の喜ぶことがしたい、それだけで活動をしているので、1年間頑張って働いてクリスマスにプレゼントを持って行って子供達の様子を見たら見返りなんて必要ないって思いますよ。今後はクリスマスに限らず、季節毎に活動をしていきたいなと考えています。
記事中に登場する子供たちから届いた手紙等。山岸興業の応接室の一角に飾られている。
― 大切にしていることは何ですか?
仕事している時に常に意識をしているのは周りを見るという事ですね。運送をやっているからかもしれませんが走っているトラックは全部見ますよ。常にアンテナを張っています。どこの車両が何の仕事をやっているかは殆ど分かるので、忙しそうに走り回っている姿を見た時は、これから動きがありそうかなという市場調査にもなります。物がたくさん運ばれているという事は、その業種に注目が集まっている証拠だし、そこを見ていますね。その目線が新しいアイデアに繋がっているかどうかは分からないけど、何かの話が展開した時に「行けるな」と確証に変わることもありますしね。
― これからの夢を聞かせてください
いつか、施設の子供達をディズニーランドに連れて行ったり、様々な事情を抱える子供達を日本全国から招待して東京ドームで貸し切りイベントをやりたいって思っています。
施設にいる子供達は縁日も行ったことがないという子が殆どでした。屋台で遊んだり、ヒーローショーを楽しんだり、そんな日常にある事を楽しんで貰いたくてイベントを企画していたんです。準備をしていたなかでコロナ禍が始まり中止になってしまいましたが、状況も変化してきたので、今度は別会社を作って進めて行こうと動いています。
大きなイベントを開催するには相当の準備と覚悟が必要ですよね。それ相応の人手も必要になりますから。でも、私のこの想いにサポートするよって言ってくれている仲間はたくさんいて、その殆どは運送業で知り合った会社の方々なんです。20年以上に渡って運送業に携わってきたから、自分の想いもカタチにできるんだと実感しています。
全ての行動は子供達への還元に繋がる。仕事もボランティアも、根本は“全てが楽しい”だと思っています。楽しくないと長続きしないしね。